あけましておめでとうございます。
2021年1発目の記事。
才能に気付けずに人生終わる人もいれば、天職を手放す人もいるんだなぁと感じた話をしたいと思います。
嵐のラストLIVEでぼーっと考えた事
僕たちの嵐は一旦やみます。
嵐が去った後に、虹のかかった美しい空が、
どうか皆さんの前に広がりますように。
これは2020年末、紅白歌合戦中の松潤の挨拶の一部です。嵐は活動休止前のライブ中で、会場から中継で出場していました。
これは嵐への愛を叫ぶブログではないので、嵐や活動休止に関して多くは書きません。
とはいえジャニオタ歴14年、高校生時代は嵐ファンガチ勢だったので思う事はたーくさんあります。
最後のライブ配信は涙が止まらなくて、終了後は脱力してしまって立てず。だらだらと動き始めたので年が明け、年越しそばが年明け蕎麦になりました。
挨拶で泣き過ぎたせいで、翌日パンパンに目が腫れて義実家で心配されました。
おめでとうございました。
世の中には才能に気付けずに人生を終える人もいれば天職を手放す人もいるな。というのはこの嵐ラストライブの配信を見ながら考えていた事です。
ちなみに、この記事は
- 才能の見つけ方を探る
- 才能のある人・ない人の違いを考える
といった考察はしていません。
これらの答えをさがしているのであれば本を読みましょう。
もしも才能があったなら
才能に気付けずに人生を終える人と、才能を発揮できる天職を手放す人。
だいたいは前者じゃないでしょうか。
私はふと考えることがあります。
何か特別(だと世間一般が思うよう)な長けている能力、素質に気付けていたら、全く違う人生を歩めたのかもって。
さとみ
とかね。
そこに努力が不可欠という事や、
一方で天職を手放すんだな、と感じたのは、2020年末で活動休止・本人は芸能活動も一旦休止する嵐の大野智くん(※以下、リーダー)です。
- 美しく、高音で伸びる声
- 重力を感じさせない軽やかなダンス
- それを常に安定して見せれる実力
他の人が努力しても届かない領域のものを彼は持っていました。もちろん努力あってのことですが。
「あぁ、これだけ美しい声の持ち主なのに。」
「流れるように軽いダンスができるのに。」
「大ちゃんの歌を聴き続けたい人がたくさんいるのに…」
最後の配信ライブでも痛感しました。
後輩から見れば、どんなに努力しても届かないスキルがあったでしょう。
世間から活動休止を惜しまれていたのも間違いありません。
それでも彼はアイドルの職をそっと手放しました。
いろーんな感情をひっくるめて、率直に「もったいない」と思いました。
(とはいえ、元嵐ファンとしてはこれからはゆっくり休んで欲しいと心から思っています。)
才能と自由な意思
才能に気付けずに人生を終える人と才能があっても手放す人。
これをもう少し高等な神学に昇華させます。
神様は人に「才能」だけでなく「自由な意思」も与えるらしい。
特別な才能があることがわかっても、発揮したいと思わない人もいれば、何かを成し遂げたいと思う人もいる。
後者の場合でも、
- 発揮できる状況ではない
家庭の事情でその道を選べない - 道半ばで困難に遭遇して諦める
スポーツ選手が重大な怪我をする - 総合的な判断で別の道を選ぶ
その才能だけでは生活する為のお金を生み出せない
それはそれぞれが考えてどうするか決めること。
「才能」と「自由な意思」はセットなんです。
当たり前の事なのに、改めて考えさせられませんか?
この事をリーダーに当てはめた時、とてもしっくりくるものがありました。
リーダーは才能も強い意思も持ち合わせていた。すごいなぁ。
私はこれといった才能をまだ見つけられていない気がしています。
のんびりしながらも、なんとなく自分がこれと思うものが欲しくて藻掻くこともしばしば。
でも、強い意思だけは見失わないようにしたいなあ。
この記事に辿り着いたあなたはどうですか?
今回はこんな感じで!
では、またね!
※大ちゃんが最後にファンに掛けた言葉。泣いたなあ。